
人物焦點
July 1, 2025
藝術聚焦|東 真里江「頭髮」的元素與作品〈澄濁〉
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この頃私は生活する中で、度々床に落ちた髪の毛を見て嫌悪することがあった。
「私が生きているだけでゴミ(髪の毛)が落ちる。」そうやって自分を穢らわしく思うことがあった。
那段時間,我時常對生活中地板上的落髮感到嫌惡。
「光是活著,頭髮就會掉落、成為垃圾。」這樣的念頭讓我感到自身不潔,甚至有些厭惡自己。


自分自身の一部だったものが落ちて自分の一部ではなくなるという感覚、それをゴミだと認識することの不思議さ、そして髪が床に落ちた時に描く線を、綺麗だと感じていた矛盾から、髪の毛を制作に使えないかと、落ちた髪の毛を集め始めたのが、この作品を作ったきっかけである。
髪の毛が描く線を美しいと感じていたので、集めた髪の毛を、下地を塗ったパネルの上に置き、上から絵の具を乗せ、乾かしてから、髪の毛を剥がすことで、髪の毛の線だけをパネルに残すという方法を思いついた。
髪の毛は私の一部であるが、床に落ちれば、もう私の一部では無いのか?そのものとしては同じはずなのに、ゴミにもなるし、制作物にもなる。私にとって嫌悪の対象にもなるし、美しさの対象にもなる。
那些原本屬於我的身體一部分的東西,一旦脫離,就不再是「我」的一部分了嗎?它們本質上並未改變,但卻能成為垃圾,也能成為創作材料。對我而言,髮絲既讓人厭惡,也令人著迷——因為我發現,當頭髮落在地板上時,所留下的那條線,是如此美麗。這樣的矛盾驅使我開始思考:是否能將落髮用於創作?於是我開始收集那些掉落的頭髮。
我將它們放置在塗好底色的畫板上,再從上方覆蓋顏料,待顏料乾燥後,小心剝除髮絲,只留下它們所描繪的線條——那是頭髮離開身體後所遺留的痕跡。
頭髮雖曾是我身體的一部分,但一旦脫落,就變成「異物」。這樣的轉變令人著迷,也讓我重新認識人類的感知有多麼曖昧、多麼容易改變。


落ちた髪の毛を見て嫌悪感を抱いていたが、制作のために拾いはじめてから、嫌悪感が消え、寧ろ見つけるのが嬉しくなったのである。
そういう人間の認識というものは、ある現象に対して勝手に決めた非常に曖昧なもので、流動的で、見方が変わると簡単に相反するものになり得る。
起初我對落髮感到厭惡,但當它成為創作材料後,這份厭惡就慢慢消失了——取而代之的是,我甚至開始期待再次在地板上發現它們。
這讓我深刻體認到,人對事物的判斷,是多麼不穩定與主觀。一個現象,只因觀看方式的改變,就能有一百八十度的轉變。
—— 東 真里江(Marie HIGASHI),2025
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作品資訊|東 真里江〈澄濁〉,2021
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